分子科学研究所の概要 59 NA R E GI プロジェクト開始後,本年度(2005年度)は中間の年にあたり,プロジェクトの中間的なまとめとして,二 つの大きな事業を行った。ひとつはナノ分野における計算科学の国際会議(1st NA R E G I Internati onal Nanosci ence C onference)である。この会議は「NA R E GI ナノサイエンス実証拠点」の過去2年半におよぶ研究の成果を国際コミュ ニテイーにアピールするとともに,ナノサイエンス分野における国際的な研究交流の場として,6月14日より17日ま で奈良県新公会堂において開催したものである。会議には国外よりこの分野の国際的なリーダー25名を招待し,基調 講演5件,キーノート講演6件,招待講演45件,ポスター発表134件を含む参加総数280名の盛況なものとなった。
本年度行ったもうひとつの活動は総合科学技術会議による中間評価への取り組みである。本稿では主としてこの活 動について報告を行う。(昨年9月以降は2006年度よりスタートする「最先端・高性能汎用スーパーコンピュータの開 発利用プロジェクト」のグランドチャレンジ課題(ナノ分野)予定実施拠点として,プロジェクト立ち上げに協力し てきたが,この取り組みについては別項で述べる。)
2-12-1 中間評価への取り組み
NA R E GI プロジェクトに対する中間評価は,昨年7月12日,科学技術・学術審議会に置かれた「情報科学技術委員 会」(委員長:土居慶応大学教授)のもとで行われた。評価項目は(1)プロジェクトの実施体制,(2)学術上の成果,
(3)産・学・官連携への取り組み,(4)ミッションの達成状況,(5)社会への情報発信など多岐にわたって行われた。 その結果,NA R E GI プロジェクトは全体として下記のような高い評価(まとめ)を受けた。
「本プロジェクトは,国際標準化を目指したグリッド技術により,100 テラフロップス級の高速サイエンスグリッド 環境を実現する情報通信技術とナノサイエンス技術との融合により,先端科学技術の研究と製品開発を目指している。
プロジェクト推進には,国立情報学研究所を集中拠点に,日本を代表するグリッド研究者,ナノサイエンス研究者 と産業界企業による適切な実施体制のもと,個々の特徴的な研究開発をベースに,世界標準化を目指したグリッド基 板ソフトウエアのプロトタイプ版が予定どおり完成するなど高く評価できる。」
ここでは分子研拠点の取り組みのなかで項目(2)−(4)について活動とまとめを述べる。
(1) 学術上の成果
本プロジェクトにおける分子研拠点の基本的なミッションは「グリッド計算環境をナノ分野の計算科学によって実 証する」というものであるが,われわれはこのミッションを達成するためには,単に,「既存の計算プログラムをグリッ ド上で動かす」だけでは不十分であり,ナノ現象に対応できる新しい方法論を開発し,その方法論とアプリケーショ ンソウフトによってグリッド計算環境の有効性を実証することを企図した。ナノ現象はいくつかの点で従来の分子科 学計算の守備範囲を大きく越えている。例えば,蛋白質という分子の電子状態を考えた場合,それは従来の量子化学 計算の対象を遥かに越えているし,また,それが水溶液内に存在する場合,これまでの計算科学では全く不可能と言っ てよい。したがって,水溶液中の蛋白質の電子状態を求めようとする場合,まず,蛋白質自身の電子状態を計算でき る方法論をつくる必要があり,さらに,それを溶液中で計算する新しい道具立てを構築する必要がある。すなわち,ナ ノ現象を解明するにはこれまでの枠組みを越えた新しい理論をつくるか,これまでの方法論を組み合わせたいわば複 合的な方法論を構築する以外にない。NA R E GI ナノ実証拠点ではいわゆる「ハードナノ」から「ソフトナノ」までの
2-12 超高速コンピュータ網形成(NA R E G I)プロジェクト
60 分子科学研究所の概要
すべてのナノ現象に対応できる計算科学方法論の構築を目指して研究を行ってきた。その主な成果は下記のとおりで ある。(これらの研究成果は346報の学術論文と80報の総説・解説として発表済みである。)
(2) 主な学術的研究成果
①ナノスケールの巨大分子の電子状態を計算する新しい方法論の開発および改良 3D -R IS M/F MO 法(新規提案)
F MO による蛋白質(1000 原子)の全電子計算(世界記録)
②溶液内の生体分子の折り畳み,およびナノ分子集合体形成をシミュレートする新しい方法論の構築および巨大計算 3D -R IS M/ レプリカ MC 法(新規提案)
1000 万原子系の分子動力学計算(世界記録)
③ナノ電子デヴァイスへの応用の基礎となる理論・方法論の開発および巨大計算 ハッバード模型の厳密対角化計算コードの開発と計算(世界記録)
密度行列繰り込み群法によるスペクトル計算(世界最高規模)
④ナノ磁気デヴァイスへの応用の基礎となる理論・方法論の開発および巨大計算 磁気双極子系の磁気秩序形成における新奇な協力現象を発見
光誘起強誘電転移機構の解明(国際賞を受賞)
⑤ナノ電子・磁気デヴァイスへの直接の応用を目指した方法論の構築および巨大計算 半無限固体の表面からの電子放出の計算手法を提案(世界初)
電子レベルからマクロな相に至るマルチスケールシミュレーションに成功(世界初)
(3) プロジェクトミッションの達成状況
NA R E GI プロジェクトのミッションは我が国に自然科学分野の「高速コンピュータ網(グリッド)」を構築すること にあり,分子科学研究所拠点のそれは国立情報学研究所(国情)拠点で開発したグリッドミドルウエア(科学のアプ リケーションソフトをグリッド環境上で動かすための中間的ソフトウエア群)の有効性をナノサイエンス分野の計算 科学によって実証することである。もちろん,今回は中間評価であるから,完成されたミドルウエアに関する「実証 計算」を行うわけではなく,国情拠点より提供された試行版(アルファ版と呼ばれる)の実証研究を行った。行った 実証研究の項目は下記のとおり。
①ハイスループット
ジョブをグリッド環境内のコンピュータに無駄なく割り付けることにより,計算のスループットを上げる。
②メタコンピューテイング
超高速ネットワークによって連結された異サイトあるいは異機種間の並列計算により大規模計算を実現。
③リアルタイムコラボレーション
異なる計算機環境で研究を行っている研究者がそれぞれの開発プログラムをリアルタイムで共有することを可能に する。(現在は異なるオペレーテイングシステムで動いているプログラムを使おうとする場合,コード変換などの いわゆる移植作業を伴うため,数ヶ月の労力と共同研究の遅延は免れない。)
分子科学研究所の概要 61 (4) 産・学・官連携への取り組み
本プロジェクトのもうひとつの性格は国の「産業再生プログラム」の一貫としての「産学官連携」であり,この側 面での成果も評価の対象となった。分子研拠点では分担研究者としていくつかの企業からの直接の参加を得ると同時 に,「産業応用協議会」との連携のもとに,主にふたつの活動を行った。ひとつは公募形式で行った企業研究者による 実証研究(公募実証研究),他は企業研究者のグリッド利用を容易にする「グリッドナノシミュレータ」の開発である。
公募実証研究への応募企業と研究課題は以下の表にまとめてある。
2-12-2 2005 年度「ナノ設計実証」公募研究テーマ一覧(16 社 19 件)
ナノサイエンス実証研究拠点 分子科学研究所 2005年2月15日(火)
課 題 名 実施企業
タンパク質立体構造解析システム superF A MS のグリッド化と ab initio 構造解析手法によ るゲノムスケールへの適用
ナノスケールにおける触媒反応の解析と新規触媒の開発
R IS M-S C F 法を用いた分子物性および化学反応に対する溶媒効果への適用
拡張アンサンブル分子動力学シミュレーションプログラムの開発と酵素触媒の活性コン フォーメーション探索
アスパラギン酸プロテアーゼのリガンド結合形式に関する研究 核内レセプターのシグナル伝達に関する分子メカニズム解析 メソポーラス材料ナノ空間―吸着分子相互作用の解析 ナノ磁性粒子集合体の磁化分布解析
シリコンナノデバイス用高誘電率ゲート絶縁膜材料の劣化過程の研究 時間依存解析に基づく物性量の算出
光励起・緩和過程における多体効果の量子動力学的解析 ナノ領域における希薄混合流体の動的挙動解析
R IS M 法による溶液中の物性推算手法の研究―酸強度の推算― R IS M 法による溶媒−溶質相互作用を取り入れた物性推算手法の研究 R IS M 法による溶液中の物性推算手法の研究―溶解度の推算―
R IS M 法による溶液中の物性推算手法の研究―溶媒和の pK a への効果の推算― R IS M 法による溶液中の物性推算手法の研究―反応および活性化自由エネルギーの推 算―
R IS M 法を用いた pK a、log Pow の算出 R IS M 法を用いた pK a、log Pow の算出
日立ソフトウェアエンジニアリング
(株)(共同研究者・北里大、日本 S GI
(株)、味の素(株)) 旭化成(株) 三井化学(株) 三井化学(株)
住友製薬(株) 住友製薬(株)
(株)日立製作所 日立金属(株)
(株)富士通研究所 住友化学工業(株)
(株)東芝
(株)東芝 旭硝子(株) 昭和電工(株) 日本ゼオン(株)
(株)日本触媒
ダイセル化学工業(株)
出光石油化学(株) J S R (株)
この中で特筆すべき活動のひとつは「R IS M ワーキンググループ」である。そもそも「産学連携」の心は「学」で開 発された研究成果を「産」に移転し,産業の活性化に役立てることにあろう。しかしながら,学問分野によっては「産」 の側に「学」の成果を受け入れる土壌が存在しない場合も少なくない。そのような場合には「産」の中にその「土壌」 形成していく活動も「産学連携」の重要な一部でなければならない。液体の統計力学である R IS M 理論がまさにこの場 合にあたる。R IS M 理論は溶液中の様々な「ナノ現象」を解明していく上で非常に有効な方法論であることが明らかに なりつつあり,企業の関心も高まりつつある。しかしながら,この理論的方法論は,現在,大学の学部はおろか大学 院においてすらもその教育課程に含まれていない学問である。このような状況のもとで,いくつかの化学企業が合同 して「R IS M 理論」の勉強と研修を当面の目的に公募実証研究に参加してきた。これらの企業研究者は約1年間の講義 と研修を経て,現在,研究レベルの計算を行うまでに成長してきている。
62 分子科学研究所の概要
我々が「産学連携」に関して行ったもうひとつの重要な貢献は「グリッドナノシミュレータ」の構築である。別項 で述べたように,「グリッド計算環境」の最も重要な利点は研究者間の「リアルタイムコラボレーション」を実現する ことにある。従来の計算機環境ではある研究者が別の計算機環境下にある他の研究者と計算プログラムを共有しよう とする場合,プログラムコードの変換というやっかいな作業が不可欠であり,それによって,数ヶ月の遅延は免れな かった。しかも,そのような変換作業が可能なのも自作のプログラムに限られており,Gaussianに代表されるような多 くの市販プログラムはコードの変換そのものを許していない。後者の事情は Gaussian など市販のプログラムに依存し ている多くの化学企業にとって致命的とも言える欠陥である。グリッドナノシミュレータはこの欠陥を本質的に克服 し,研究者がグリッド計算環境下において(コード変換などによる遅延なく)「リアルタイム」でプログラムを共有す ることを可能にする。グリッドナノシミュレータの骨格部分は(a)初期データ生成ツール(シミュレーション初期デー タの入力生成プログラム),および(b)GIA NT(個別プログラム間のデータ変換やヒューマンインターフェース)からな る。この GIA NT によって,異機種コンピュータに存在するプログラム間のコミュニケーションが可能になったのであ る。このことによって,企業研究者はコードを変換することなく Gaussian を他のプログラムと連成して使うことが可 能となった。